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IMAGINE

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「哲学は死んだ」 

ティーチャー・シリーズ シャウド5: 
「哲学は死んだ」 クツミ・ラル・シンによるシャウド
クリムゾン・サークル 2006年12月16日


牛糞の火でカレーが焼かれ、クツミがあなたの耳元で叫んでいる!」(クツミが歌っている - 聴衆、爆笑!) ナマステ!(聴衆、「ナマステ」と応える) ナマステ! 私、クツミが、この日、あなた方を愛し、(ホリデー)シーズンを、1年の終わりを祝うためにやって来ました。もうじき到着する私の新しい本を祝うために。この美しい日に - 1年の終わりを、そして、「新しいエネルギー」の前の最後の時期 - 最後の年の始まりを、シャーンブラとともに過ごすためにやって来ました。私はトバイアスと、もう1人、皆さんがセント・ジャーメインと呼んでいる「くそったれ」に頼まれて来ました。(爆笑) 彼はそれほどひどくありませんよ。

皆さんに笑ってもらわなければなりません、シャーンブラ。笑ってもらわないといけません。現在、あなた方の世界と、あなた方のそのクレイジーな小さな頭の中では、実にたくさんのことが進行しています。笑ってもらわなければなりません。トバイアスが私に今日、するようにお願いしてきたのが、それです。でも、私はただ、あなた方を愛するためだけに、ここにやって来たいと思います。純粋で、無条件で、健全なA級の愛を、私のパンジャブ人(訳注:パンジャブはインド西北部にある、シーク教発祥の地)のハートからあなたのハートへ。この「今」の美しいエネルギーの中で、ただ少し、リラックスするために。

あなたが実に長い間、人間として努力してきたことが、あなたに打撃を与えています。あなたからまさにユーモアを、生命を奪ってしまいます。ここで少しの間、ただ、一緒に座ってみませんか。無条件にあなたを愛させて下さい。この美しいエネルギーの中に、ただ、少しの間、あなた方とともに浸らせて下さい。心配することなく。懸念もなく。トバイアスもなく! トバイアスはちょっと、休みをとっています。彼は実は、自分のコテージで、ハヌカーの木に飾りつけをしています。セント・ジャーメインは - 私の愛すべき友人と言っておかなければなりませんが - 私たちはとても多くの生涯で、一緒にワークしてきました。セント・ジャーメインは1年のこの時期が大好きです。彼が特に気に入っている、この役を演じて、世界中の多くの人間を通じてチャネリングができるからです。このサンタクロースという役割が大好きなのです。彼が公言するものはたくさん、たくさん、たくさん(少々、笑)あるのですが、実際、サンタクロースと呼ばれるこの存在を創造する手助けをした、と公言しています。なぜなら、この喜びのシーズンは少々、シリアスになり過ぎていて、古い儀式にあまりにもとらわれているからです。そこで彼はクリスマスのエネルギーがどうあるべきか、というのを見ていました。それは子供っぽいものであるべきです。喜びに満ちたものであるべきです。ハッピーなものであるべきです。ですから彼は、このサンタクロースと呼ばれる存在を共同創造し、最もオープンな人たち - 子供たちにもたらす助けをしたわけです。子供たちが自分のイマジネーションを取り戻す手段として - この愛という要素を - このマジックという要素を、ホリデー・シーズンに取り戻す手段として。

ですからセント・ジャーメインは現在、世界中に出かけて、サンタクロースがいる場所で、子供たちと共に過ごすサンタクロースと一緒にいます。時に脅えてしまう子供たち、傷ついてしまう子供たちとともにいて、世界中の様々なサンタを通じて、彼のエネルギーをチャネリングして、子供たちの人生に少しの喜びをもたらそうとしているのです。

私、クツミがサンタクロースの役を演じるのは難しいのです。私のバックグラウンドはそのようなものではないですし、どうも私は幼い子供たちの多くを泣かせてしまうようなので、このシャーンブラのギャザリングに来ています。もちろん、親愛なる存在、クァン・イェンもいません。彼女はノーマと - アーンドラと - それからギャレットとともに、現在、キーウィの地にいます。この地で彼らはとても特別なことに取り組んでいます。この旅全体を通じて彼らは、ただ単にクァン・イェンだけでなく「ソフィア」のエネルギーの新たな理解をもたらす助けをしてきました。私たちはそのエネルギーに入っていきますが、トバイアスとクァン・イェンがそれについて、さらに話をするでしょう。でも、今、この「男性性・女性性」のエネルギーが戻ろうとしているのはご存知ですね。たとえば、私を見て下さい。男性性と女性性が統合されています - 私は男ではありません、女ではありません、私は私自身です。両方です。どちらでもありません。そのような衣装は随分前に捨て去りました。私というすべてになるために。ノーマ、ギャレットは、この移行の時期に、すべてのエネルギーを融合する時期に、クァン・イェンと、ソフィアのエネルギーに取り組んでいます。彼らはシャーンブラ全体にそれをもたらすでしょう。

たった今、少しの間、ただ、あなた方とともにいさせて下さい。随分、久しぶりです。私はあなたのそばにいました。言うなれば、バックグラウンドにいたとでも言うのでしょうか。素晴らしい湖のほとりのあなた方の新しいオフィスで、クリムゾン・サークルとシャーンブラのエネルギーとワークしていました。私はエネルギーを動かす助けをしていました - そこで働いている人たちのためだけでなく、頼まれたすべてのシャーンブラのエネルギーとも。トバイアスとセント・ジャーメインにお願いされました。ですから、オフィスでワークしている人だけでなく、あなた方1人ひとりに影響があります。古いエネルギーをクリアーする、というのがあなた方の意向でした。セント・ジャーメインが言う、しがみつきたいエネルギーのことです。つまり、ちょっとした意識はすべて、ちょっとしたエネルギーはすべて、独自の生命体を持っています。独自のアイデンティティを持っています。ちょっとした意識はすべて、自らに対する理解をある程度、持っていて、その自己にしがみつきたいのです。手放したくないのです。それは変容や進化ではなく、死と見なすからです。ちょっとしたエネルギーはすべて、しがみつこうとします。進化する時だと、変化する時だと、より壮大なものへと、より大きなものへと成長する時だと知ってはいても、幼い子供のように、なお、しがみつく傾向があります。

そのちょっとしたエネルギーが、何がほしいか、お分かりですか? それは、親のエネルギーに - 創造者のエネルギーに - やって来てもらい、すべて大丈夫なのだと安心させてほしいのです。やや怖れているあなたのその一部が、明日はどうなるか分からない一部が、もう、本当はどうでも良いと思っている仕事を、古いカルマだった人間関係を手放すとどうなるか分からない一部が。このようなエネルギーのすべてが、親としての自己に、創造者の自己に来てもらい、安心させてもらいたがっています。幼い子供のように、手を取り、もうその時だよ、と。もう進む時だと。進化する時だと。過去が忘れ去られることは決してないのだと。過去が葬り去られることは決してないのだと。過去は新しいものへと、あなたという存在の可能性へと変容することができるのだと。

あなたが持つちょっとした思考はすべて、独自のアイデンティティを持っています。あなたが抱えているちょっとした怖れはすべて、実際はただの幼い子供に過ぎません。行き詰まったエネルギーの1つひとつは、本当に外されたがっています。そしてあなたが、親愛なる人たち、あなたが自分自身のその部分を、あなた自身の新しいエネルギーへと導いていくことができるのです。入って行き、それに話しかけて下さい - その小さな怖れに。仮に、身体のどこかが悪いという怖れを持っているとします - もしかすると、ちょっとした病気にかかっているかもしれないと。それはただの、行き詰まったエネルギーの断片に過ぎません。それだけのことです。若さに - 若さという概念にしがみついているエネルギーの断片です。そこに入って行き、そのちょっとしたエネルギーに話しかければどうでしょう。もう手放す時だと言って下さい。若さにしがみつく必要はないのだと。新しいエネルギーへと進化することができるのだと。あなたの身体の中のどこかに、スタンダードとなる輝きを放つ、健康で活気に満ちた生体のエネルギーがあるのだと言って下さい。不健康なエネルギーは自らを癒すことができるのだと、たった今、無理強いすることなく、頭で統制し過ぎず、さらには意識を集中することもなく。ただ、そうさせてあげるのです。ですから今日、この私たちの美しいグループの中で、あなたが自分自身を愛せるように、この瞬間を使い、あなた方を愛しに私はやって来ました。

現在、実に多くのエネルギーが進行しています。私が見るところ、人間の意識の中で実に蔓延しているのが、「彼ら」のエネルギーです。気候が変化するだろう、と「彼ら」は言う。新しいファッションのトレンドが生じるだろう、と「彼ら」は言う。経済情勢が悪化するだろう、と「彼ら」は言う。世界が終わるだろう、と「彼ら」は言う。このような偉大な悪である「彼ら」について、世界中の人間たちが話すのを聞くのは、ヴェールの私たち側からすれば、面白いことでもあります。それがインドであろうと、オーストラリアであろうと。どこでも、「彼ら」のことばかりです。「彼ら」はこう言った。彼らはあれをするだろう。「彼ら」とは誰ですか? 私はあちこち、見てみました。「彼ら」をみつけようと、世界中の国々を探しました。あなた方の電話帳も探しました。「ミスター・ミセス彼ら」というのはどこにもありません。企業も見てみました。「彼ら株式会社」というのはどこにもありませんでした。「彼ら」は、どこにも見当たりません。

さて、このビッグな「彼ら」というのは何でしょう? 私はとうとう、自分に言いました。それはどこから来るのか? 誰が所有しているのか? そして、それはただの意識であることを発見しました - ただの大衆の意識です。この「彼ら」とは、人間の意識以外の何物でもありません。思考やアイデア、問題や懸念の巨大なため池、プールに過ぎません。でもなお、人々は「彼ら」について話をします。あなた自身の人生でそれを見てもらいたいと思います。どれくらい頻繁にあなたがそれを使うのか。それについて考えるのか。「彼ら」は私にこんなことやあんなことをしてもらいたがっている。「彼ら」は私にここに行ってもらいたがっている。もう1つ、あなた方の多くの人から私が良く聞くのは - 「彼ら」を、何かのスピリチュアルなグループや、私たち側の何か組織を指して言うわけです - 「彼ら」が私に引っ越すべきだと行った。でも、「彼ら」というものはいませんから、どうやってあなたに引っ越せと言えるでしょう?「彼ら」は私に、出かけて行って、ある特定の布教のワークをすべきだと言った。「彼ら」というのはいません。では、実際、あなたが働きかけているのは何なのでしょう? あなたは他のすべての人間から来るすべての「彼らたち」に働きかけているのであり - それは彼らの問題や懸念から来ています。

そしてこの「彼ら」を - このビッグな「彼ら」を - それについてあなたは考えてみたことがありますか? それは何のユーモアの感覚も持ち合わせていません。それは特に論理的でもありません。でもなお、それは実に多くの人たちの人生をコントロールし、導く力となっています。人間が実際、「彼ら」がある種のアイデンティティを身につけるくらいまで、「彼ら」を信じるというところまで来ています。「彼ら」は、ある種のエネルギーを帯びています。どこにも見出すことはできないのですが、ある意味で、彼らはリアルになっています。実に多くの人間を導く力になっています。私たち側に渡ってきてからも、人間は「彼ら」について話をし続けます。「彼ら」は私にこれをしてもらいたがっていた。彼らはどこにいるのでしょう? 「彼ら」を求めて人間が、天使たちが、あらゆるところを探してきましたが、本当は、それはどこにも存在しません。

彼らは - 「彼ら」というのは、責任を負ってこなかったあなたのことです。実に、う~ん。(笑) ええ、賢人があなたに話にやって来ます。それはとてもシンプルな原理です。それがあなた自身の人生にどう影響しているかを見て下さい。ある意味で、あなたは - まるで大衆の意識のガイダンス・システムがあなたの人生を導いているかのようです。あなたの思考を導いているかのようです。でも、そのエネルギーには本当には実体はなく、深みはなく、何もありません。あなたは、人間たちはずっと巨大な無に従ってきて、あなたの内側にある崇高なものに従うのを忘れていたのです。

私は今日、あなた方にいくつかのことをシェアするためにやって来ました。私自身について少々 - 私の物語りについて - なぜ私がここに来たのかについて。クリスマスは私にとっても特別な意味があります。私は地球上に数多く転生し、実に様々な変装とアイデンティティを身につけてきました。ここで私は、いくつか、質問にあがったものに対処しなければなりません。そうですね、私、クツミ・ラル・シンは幾分、男らしく振舞っていますが、私は言ったように、もう男ではありません。私は男と女の両方ですが、多くの生涯で私は、男としてやって来ました。ある1つの生涯では特に - バルタザールとして - (キリスト降誕の際にやって来た)東方の三博士の1人です、ええ、実に。そうです。あれは私でした。贈り物を届けに - ちょっとした香料を、ちょっとした没薬(ミルラ)を届けに来ました。つまり、イェシュアに好かれるためにね。彼は有名になるわけだから(少々、笑)。

私はとても多くの生涯で、男として転生しました。ほとんどが - 人間の姿を体現するのを選ぶ時は、あなたのエネルギーの傾向で体現します。言い換えれば、あなたのエネルギーが天界の領域で、女性的なものが優位を占めていれば、通常は、地球にやって来ると、女性として転生し、通常、女性の姿でとどまることになります。時たま、反対にシフトすると、とても違和感を覚えることになります。女性の方々はもちろん、お分かりでしょうが、男の身体に入り、男のような態度をとり、男の精神性と気性を持つというのは、ええ当然ですね。私は一方、当初は、必ずしも意識的な選択というよりは、男性的なエネルギーの傾向から(男として)入って来ました。今ではほとんどそれは認められないでしょうが。

ですから私はとても多くの生涯を、男性の姿で過ごしました。ひとつには自分自身のレッスンのためでした。ひとつには、私の一方の部分の美しさについて - 男性の身体を演じることで - 理解するためでもありました。今、私が地球に戻るとすれば、どんな姿で戻るかという意識的な決断を下すのは、とても難しいでしょうね。私は実際、2000年前のその生涯で、バルタザールとして転生し、キリストの種子のエネルギーをもたらす手助けをしました。当時、私はバビロニアの王でしたが、あなた方がご存知だったように、私もまた、地球に何かが起こるのを知っていました。正確なことは分かりませんでした。必ずしも特定することはできませんでした。預言者たちが新しいメシア(救世主)がやって来る話をしてはいましたが。でも、メシアがあのような形で来るとは、誰が考えたでしょうか? 私が言っているのは、赤ちゃんのイェシュアのことだけではありません。メアリーとジョセフのことだけではありません。その時期に、地球にキリストの種子が誕生したということです。イェシュアが地球にやって来るということだけでなく、あなた方が地球にやって来るということでした。あなた方が転生するということでした。

ちなみに、私たちすべてには、実に共通するものがあります。アトランティスでのバックグラウンドというだけでなく、私たちのほとんどがおよそBC500~600年前に転生しているということです。私たちはその時代に来ていて、やって来るキリストの種子のエネルギーを準備する手助けをしていました。それから私たちのほとんどが、再び、およそ2000年前に転生しました。あなた方にとっても、わたしにとってもそれは特別な生涯でした。私たちは地球のエネルギーの変化の、時代の変化の真っただ中にいました。自らの自己が花開こうとするのをまさにみつめ、二元性の重苦しさから抜け出し、人間として肉体を持つことの重苦しさから抜け出そうとしているところでした。地球に生きるという、転生と呼ばれる、サイクルの底の部分から出て行こうとしていました。出て行くことに - 出て行って、このサイクル全体から、この転生の輪全体から抜け出すために、私たちのエネルギーを動かそうとしていました。

あなたはそこにいました。私はそこにいました。私たちは種子を植えました。そして今、2000年以上がたち、私たちは収穫をするために、ここにいます。あなたがここでしているのはそういうことです。このキリストの種子のエネルギーを刈り取っているのです。このキリストの種子は、美しい新しい意識へと成長しました。私とあなた方がスタートしたこの美しい、新しい意識は、成長し、健やかに育ちました。強く、健康になりました。あらゆる意識の雑草が周りに生えているにもかかわらず。干ばつにも - 意識の干ばつにもかかわらず。意識の嵐にもかかわらず、この新しいキリストの意識は成長しました。進化しました。そして今、収穫の準備が整った「新しいエネルギー」の到来とともに、私たちは今日、ここで、できれば少し、収穫を行いたいと思います。一緒にやります。この美しい、安全な空間で、まさにここで「新しいエネルギー」を注入します。でも、私のことに戻りましょう。

私は地球上でとても多くの転生をしてきました。最も印象的なものの1つが、およそBC500~600年前のものです。私は当時、ピタゴラスと呼ばれる哲学者でした。ギリシャの哲学者です。それは実に興味深い生涯でした。なぜなら、当時、このギリシャの地では、実に多くの意識の変化が起こっていたからです。新しい文明が人類のクリストスの時代に備えて、目覚めようとしていました。ギリシャには思想家がいました。ギリシャにはクリエイターたちがいました。ギリシャでは新しい文明が、新しい文化が生み出されていました。私は - その真っただ中にいました。私は哲学者でした。数学者でした。それは魅力的なものでした。私は、数学を通して、哲学を通して、世界を理解しようとしていたからです - 自然を理解し、スピリットを理解しようと - 。この哲学というものに、私は愛と情熱を持っていました。数がどのように働くのかを、いかにして宇宙が、星が、数で理論的に説明できるかを理解することに愛情を持っていました。私は数のエネルギーと遊ぶことに日々を、年月を費やしたのです。

そのような数のエネルギーは今でもここにあります。それと遊ぶことはまだできますし、使うことができます。数を並べることができます。数学と遊ぶことで、何でもほしいものを創造することを理解し、手助けをしてくれます。でも、私が理解するに至ったのは - この生涯ではなく、ずっと後になってからですが - 数が現実を創造するわけではないという理解に至ったのです。数学が宇宙を形作るわけではありません。それは単に、とても個人的で、とても親密な、魂の自己と呼ばれる - あなたと呼ばれる - 創造者のエネルギーに応えているだけです。あなたが創造すると、純粋で生(なま)のエネルギーを使って創造を始めると、それは自ら、数学の公式へと変容して、この純粋で生のエネルギーを、ある種のロジックへと変えるのです。でも、ロジックそれ自体が答を持っているわけではありません。ロジックそれ自体は - 数学のロジックは - 源のエネルギーではありません。ロジックが、数学が宇宙を創造したわけではありません。あなたがしたのです。あなた方、創造者たちが。あなた方、想像する人たちが、夢見る人たちが。地球にやって来て、自分のエネルギーを下げるという見事な仕事をした、あなた方、天使の存在たちが。可能性を、最終的には現実を創造したのは、あなた方なのです。それを、数を使って、数学を使って、理解する、解釈することができるのです。

このピタゴラスとしての生涯に続いて、バルタザールの生涯がありました。その生涯で私は、貴族でしたが、哲学の研究は続けました。数学の研究は続けました。でも、ここでは新しいものが入って来ました。このスピリチュアリティという分野そのものです。スピリチュアルな面に新たに焦点を合わせるようになった最初の生涯でした。私がイェシュアの誕生に、地球にこのキリストのエネルギーがやって来るということそのものに強い興味を持ったのは、それが理由です。私は星を観察して、メシアのエネルギーがどうやって、いつ、地球に現れるかを理解しました。書物を調べました。私たちが何か新しい、違うものを、この驚くべき惑星地球に創造し始めているのを理解するために、他の哲学者や、宗教を研究しました。それでも私は、その生涯においては自らの自己に行き詰まっていたと言わざるを得ないでしょう。つまり、私は探求者でした。記憶する限り、私はずっと探求者でした。探求者であるというそのエネルギーは、さらに別の様々な生涯へと持ち越され、それらの生涯で私は哲学者として、数学者として、自分のワークを続けました。

地球上で最も最近の生涯では、私はクツミ・ラル・シンとして知られています。私はその情熱を続けました。つまり、情熱です - 学ぶこと、心が躍るようなもの、頭でしっくりするようなもの - そのようなものは、生涯から生涯を通じて、ついてくる傾向があります。そこで私は、クツミとして地球に戻り、インドのカシミールの地に生まれました。興味深いことに、私がピタゴラスだった、哲学者だったまさにその時期に、仏陀が地球上に体現していました。仏陀が彼のエネルギーを始めていたのです。トバイアスが地球にいたのも大体、その時期でした。つまり、私たちは人間として、グループとして、パターンを生み出し、そのパターンに従うのです。私たちは、そのパターンそのものが進化し、変容する準備ができるまで、それに取り組みます。それから私たちは「古いエネルギー」から「新しい」ものへと移っていきます。

さて、私はクツミ・ラル・シンとしてやって来て、ごく幼少期から勉学に励みました。私の両親は学者で、父は特に、私に読書と勉強をするように勧めました。でも、ある意味で彼がしていたのは、私がすでに選んだ道をたどる気にさせることに過ぎませんでした。勉学が私をロンドンへと連れて行きました。ちなみに私は、1829年に生まれ、勉強するためにロンドンの周辺に行き、ケンブリッジで多くの時間を、勉強して過ごしました。できる限り、学ぶことに費やしました。私は哲学者であると、学ぶ者であると、真実の探求者であると自認していました。昼夜を問わず、一生懸命に勉強しました。社会生活はまったく持ちませんでした。部屋に閉じこもり、教室に閉じこもっていました。4年間、とても一生懸命に勉学に励みました。この4年間の終わり頃、ある日、大学の中で道を歩いている時に、すでにそこにいつもあった物事にやっと注意を向けながら - 木々や空、鳥に - 不意に、自分が何も知らないことに気づいたのです。私は勉強しました - 懸命に取り組んできましたが、人生について何ひとつ、学びませんでした。私は哲学についてのあらゆることを学びました。偉大な書物を読み、科学や数学について実にたくさんのことを学びました。でもとりわけ、この日は開かれました。まるで扉が私の魂に開いていくかのようでした。私はそこを覗き込み、自分が何1つとして学んでいないことに気づいたのです。ええ、私はマインドには長けていました。頭の回転は速く、記憶力がありました。暗唱することができました。でも、私はなお、何も体験していなかったのです。

そのことは、私の存在全体に、おののきを引き起こしました。私のあらゆる部分が切り裂かれたかのようでした。それは最終的に、現在ではメンタル・ブレイクダウン(神経衰弱)と呼ばれるものを引き起こしました。まさにその場で、大学の芝生の上で、地面に倒れこんだのです。当然、彼らはやって来て私を連れ去りました。ある意味で、ほとんど閉じ込めたと言えるかもしれません。精神病院ではありませんでしたが、私は教授の家のどこかに隔離され、そこで数年間を過ごしました。ほとんど、食事もできませんでした。手紙を書くこともほとんど、できませんでした。まったく何も考えたくありませんでした。何もしたくありませんでした。これがどんなものか、あなた方の中には、正確に分かっている人がいます - 「うつ」のような、空虚さのような、まったく何の情熱もない状態です。まったく何も感じない状態です。私はまったくの抜け殻でした。まったくの抜け殻でした。そのような状態で、長い時間を過ごしました。最初のうちは、彼らは心配していましたが、やがて私のことをただ、忘れてしまうようになりました。食事を与え、時たま、話しかけようとしましたが、私はかなり支離滅裂だったのです。

私はこのような存在状態で、実際、存在しない状態で数年間を過ごしました。ある日、このブレイクダウンを起こした時のように、不意に私は立ち上がり、わずかな荷物をまとめて、出て行きました。その時点で、世界から立ち去ったのです。私は大学を去りました。学位から立ち去りました。友人や家族から立ち去り、新しく、違うものへ向けて旅立ったのです。私はもう、考えたくはありませんでした。もう、哲学者にはなりたくありませんでした。何とか宇宙を解明したいとは思いませんでした。なぜなら、宇宙を解明することは決してできないことがやっと分かったからです。私は自分自身に言いました。ただ、人生と人々を - 何でも、体験したいと。それまで自分自身にさせてあげなかった体験を、味わいたかったのです。私は常に、体験について考えてきました。人生のあらゆるものを常に分析してきました。自分の内側、そして外側に関わるあらゆるもののロジックを常に見てきました。私は、スピリットにさえ、ロジックや哲学をあてはめようとしました。それはできないことが分かりました。それはまるで、水と油のようなものです。混ざらないのです。

そこで私はメモすら残さずに出発しました。私の旅の次の部分を開始しました。旅の次の部分はおよそ40年ほど続き、私はヨーロッパ中を旅しました。故郷であるインドの地へと戻り、最終的にはチベットに落ち着き、そこで私は残りの人生を過ごしました。もう、勉強はしませんでしたが、自分の体験を書きとめ、シェアしたのです。私は神智学協会を設立した人たちと少しの間、ともに過ごしました。多くの時間を、最も親愛なる人と過ごしました。考え、同時に感じることができる人です。彼女は私にとって、インスピレーションとなる人でした - ブラヴァッキー夫人です - 人生に対する実に多くの情熱に溢れた女性でした。彼女に会った瞬間、自分の内側で感じる必要があるものが何なのか、私には分かりました。彼女は知的な - 極めて知的な女性でした。私が知る限り、最も優れた女性でしたが、感じることができる女性でした。彼女はエネルギーを感じることができました。情熱を感じることができました。私が生を感じてきたものすべてを合わせた以上に、1本の花に生を感じることができる人でした。どんな人のエネルギーも感じることができ、人々のエネルギーのバランスを取り戻す手助けをすることができました。必ずしも彼女がヒーラーだったわけではありません。彼女はフィーラー(feeler)でした。

私は、さらなる体験へと自分自身を開く方法を理解するために、彼女と多くの時間を過ごしました。体験するためです! 考えるためではありません。考えることには、とてもうんざりしていました。その間、私はとてもたくさんの愛すべき普通の人々に出会いました。偉大なる王や王族、貴族と話す必要はありませんでした。実際、その中の数人には会いましたが。私は一般の人々とワークして、彼らとともに人生を体験する方に、より興味を持ちました。彼らと人生の美をシェアすることに。1日だけのこともありましたし - 1週間や2週間、あるいはそれ以上の時もありました。でも、それはすべて、体験ということでした。

その生涯の旅の中で、私は実に興味深いこともまた、学びました。笑い方を学んだのです。子供時代、私は笑いませんでした。笑うのは知的なことではないと考えられていました。私の家庭では、父も母も実に学者肌で、とても知的な人たちでした。でも、皆さんにシェアしておかなければなりませんが、とても不幸せでした。とても不幸せでした。私は大陸中の人々から微笑み方を学びました。笑い方です。ユーモアの言い方です。ユーモアには、独特のエネルギーがあります。それは行き詰まったエネルギーを変容します。二元性の重苦しさをいくらか、取り除いてくれます。人間は - 笑うことができます。天使よりもずっと上手にユーモアを創り出すことができます。ヴェールの私たち側でさえ、肉体のない領域では、人間の身体を体現したことがない存在には、ユーモアが何なのか、さっぱり分からないのです。シリアス過ぎるというわけではなく、彼らは私たちが体験したことを体験していないからです。軽く考えて笑い飛ばすためには、それは、結局はそれほど深刻なことではないのだと理解するためには、そこを体験しなければなりません。少し遊び、他の人に微笑んでもらえるようになるためには。

ですからそのクツミ・ラル・シンとしての生涯で、私は体験することを学びました。笑うことを学びました。シェアすることを学びました。シェアすることを学びました。シェアするというのは、興味深いエネルギーです。あなた自身を他人に与えて、養うという意味ではありません。誰かとともにいる、その瞬間を互いに楽しむということです。相手を修正しようとすることではありません。あなたが持つすべてのものを与えるということではありません。その瞬間を楽しむということです。ともにいて、体験をシェアするのです。あなたが誰か別の人間と体験をシェアする時、それが何であっても、態度をはっきりさせるということです。ここから永遠にその共通点を持つことになります。あなた方の間には、決して取り去ることのできない、葬り去ったり、破壊することのできない素晴らしい、美しい絆があります。他の人とシェアすることで自分を理解できるようになる1つの方法です。

その生涯で学んだ最大のことは、また、今日、私がここに来てあなた方と話している理由は、今日、先程、ここで言ったように、哲学というのは本当に、まったく馬鹿げたものだということです。今日、私はここで宣言しますが、意味深い宣言をします。哲学は死んだ、ということを。哲学はこの時点で、死にました。それは良かった、あなたは言います、それは良かった。(聴衆、拍手) あなた方の多くは拍手していますが、あなた方は哲学者でした。生徒でした。物事のロジックを調べて、それがどのように働くかを理解しようとしてきました。でも、私には分かっていますが、あなたもご存知のように、あなたは長い間、哲学を学んできました。それがあなたをどこに連れて行ったのでしょう? それは私をブレイクダウンに陥らせました。あなたを罠に陥れました。袋小路へと追いやりました。実に役に立つものでした。分かってもらいたいのですが、すべて悪いものだと言っているわけではありません。でも、あなたが進んで行こうとしている、この「新しいエネルギー」の時代では、哲学は死にます。哲学はなくなります。それは創造性に取って代わられます。体験に取って代わられます。智慧に取って代わられますが、考えるという、これだけのものに起源を持つ智慧ではありません。創造性が戻るにつれて、哲学はなくなります。

これは、文化が発達するためには哲学が必要だ、と言う多くの人を驚かせるかもしれません。哲学は、自分自身を学ぶことになるので必要なのだ。ええ、それはある程度は真実です - ある程度までは。でもあなたが自らの探求の旅において、ある地点に到達すると、第一に、そこには探求するものは何もないことに気づきます。あなたは探求者に過ぎません。それはあなたの仕事でした。あなたの職業でしたが、最終的にあなたをどこに連れて来るでしょうか? 哲学はもう、超越します。それはロジックを、マインドを超えて行きます。多くの人が懸念するのは、それが彼らにとってすべてだからです。マインドで知っているもののすべてだからです。でも、マインドの外側に何かがあることを本当に理解するには、かなりマインドから抜け出す - かなりブレイクダウンを経験する - 必要があります。マインドの幻想を、そのように粉々にする必要があります。人生を理解ための「古いエネルギー」の基盤を完全に崩壊させる必要があります。マインドから抜け出すと、そこにはもっとずっと、貴重なものがあることに気づきます。ずっと壮大なものが。マインドがするように、あなたを行き詰まらせることのないものが。それは、あなたのスピリットです。あなたの自己です。あなたのナストです。マインドも関わりますが、遥かに壮大なものがあるのをあなたは学びます - それはあなたです。それは、あなたです。彼らではありません。あなたです。あなたがあなた自身のグル(GURU)です。彼らが好んで言うように、「ああ、あなたはあなたです Gee(G), You(U) Are(R) You(U).」 あなたにはグルは必要ありません。

ですから哲学は、シャーンブラ、「新しいエネルギー」においては、死にます。なくなります。あらゆるものを熟考する必要はありません。すべてを分析する必要はありません。すべてを哲学的に見る必要はありません。今は体験を楽しみ、創造性を、あなたの人生で導いてくれるエネルギーにさせてあげることです。マインドを、哲学を抜け出す、と言うとまた、警報ベルが鳴ります。懸念を招きます。なぜなら、それがあなたがはまり込んでいたエネルギーだからです。あなたが知っているものだからです。なじみがあるからです。他に機能するシステムを知らないからです。でも、まじめな話、私自身の経験から、また、それを体験した人たちの経験からすると、マインドを手放し、哲学をすべて手放すと、その向こうには、あなたにとって、まったく新しいフロンティアがあります。その向こうには、あなたが長い間、古い哲学的な意味で熟考してきながら、決して答を見出せなかった質問に対する答があります。その向こうには、マインドが到底、推し測ることのできない意識の新しいフロンティアがあります。その向こうには、哲学自体が決して説明できなかった、理解できなかった、人生に対する新しい意味があります。その向こうには、あなたの内側の苦闘の欠如が、葛藤の欠如があります。それは神聖なる存在状態であり、それはたった今、ここにあります。どこか遥か遠く離れた未来にあるわけではありません。ただの概念ではありません。ただの哲学ではありません。それはたった今、ここにあります。

それはあなたが自分自身に与えた贈り物です。このキリストの種子のエネルギーを収穫することです。それをあなたの現実へともたらす時です。たった今、あなたが選ぶなら。私はトバイアスとセント・ジャーメインに、あなた方に少々、「新しいエネルギー」を注入するのを体験してもらうのだ、と言いました。その「新しいエネルギー」は、その収穫は、たった今、ここであなたを待っています。それは何があっても、ゆっくりとあなたへと辿り着きます。それは自然な原理です。「新しいエネルギー」は、ゆっくりとあなたを変容します。数多くの生涯が必要だったかもしれませんが、それはエネルギーの自然な進化に過ぎません。今日、ここに座っているこのグループで、このとても貴重な空間の中で、私たちは実際、さらなる、その「新しいエネルギー」を私たちの人生に染み込ませてあげることができます。そのあなたの「新しいエネルギー」をたった今、染み込ませることができます。

では、一緒にただ、少し呼吸をしましょう。手放すには素晴らしい時です。あなたを押しとどめているであろうものを、それが何であっても、手放して下さい。当然、怖れが浮上します。手放すとどうなるのだろうか、と思うからです。ええ、その体験を楽しんで下さい。そのフィーリングを楽しんで下さい。それについて考えないで下さい。手放し、それを体験して下さい。呼吸を始めましょう。なぜなら、呼吸は他のほぼあらゆるものを開始するからです。

ゆっくりとした深い呼吸をして下さい・・・ 何も強要しようとせずに・・・ 何も要求せずに。



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